新潟県南魚沼市で「塩沢やぶそば」を営む笛木宏さん(74)は17日午前、妻の声に驚いた。「あんなところから、人が」。2階から眺めると、降りしきる雪の中、目の前を走る関越自動車道の壁の切れ目から、男性が3人、のり面に転がり出てきていた。
16日から降り続いた雪は1メートルを超える高さまで積もり、関越道には立ち往生した車が12時間以上、数珠つなぎになっていた。年に一度くらいは渋滞することがあるので「また詰まっている」と思っていたが、事態は予想以上に深刻だった。
3人は空腹に耐えかねて車外に出てきたようだった。しかし、のり面の下は川と田んぼだ。川は雪に覆われて見えず、田んぼの新雪にはまったら、そのまま動けなくなるかもしれない。
笛木さんは山笠をかぶりスコップを手にして、のり面に向かった。「こっちの方に行かないとだめだ」。腕全体を使って伝えると、3人は方向を変えて、雪の上をはって動き出した。
足元には、10年ぶりにかんじきを履いていた。真っ白な雪を踏み固めて進む。「道つけ」と呼ばれる、雪上に道を作る作業だ。とはいえ、雪の下のどこが空洞かわからない。雪には慣れているが、笛木さんが首元まで埋まったところもあった。
男性たちのもとまで、わずか30~40メートルを進むのに30分ほどかかり、体は汗びっしょりになった。彼らは「本当に助かった。おなかがすいて、どうしようもなかった」とほっとした表情をみせた。
「やぶそば」の斜め向かいにあるラーメン屋「札幌ラーメンどさん子 塩沢17号店」の荒井隆さん(56)も助っ人に参じた。笛木さんが踏み固めた道をさらに広くしたり、階段を作ったり。そうして出来た臨時の「非常口」を伝って、関越道から次々と人が降りてきた。みんなぐったりしていた。
ラーメン店でトイレを貸すと、「買い出しに行きたい」という人がいた。「だったら、送りますよ」。店のスタッフと協力し、自家用車に乗せて1~2キロ先のコンビニまで何度も往復した。午後2時から午後9時ごろまで50人ほど。みな、おにぎりやサンドイッチ、飲み物を買っていった。「助かりました」と感謝された。
16年前、新潟県で中越地震があった。その経験から常備していた投光器を、荒井さんはのり面に照らし、車に戻るドライバーたちの足元を照らした。「あのときは避難所で暮らした従業員もいた。困ったときはお互いさまです」。雪の降り続くなか、荒井さんは振り返った。(角詠之)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル